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とある双極性障害のぶろぐ

おはようございます。

久々に今、朝のニュースをいつもより少し長く見ているのですが、人の死は辛いですね。

昔、中学でしょうか、高校でしょうか、二十歳になるまでには死にたいとか言う願望があったのを覚えていますが、二十歳と言うのは多分子供と大人の区切りだからだったのかな、と思うのですが。結局だらだらと今まで生きてきてしまいました。

多分これからも私は「死」が常に頭の中にある状態で生きていくと思うのです。人間いつかは死にますしね。時代が変わって人生100年と言われ始めましたが、もしかしたら色々な技術が発達してそれどころでは無くなってもっと長くなる可能性もあるのかも知れませんが。

 

あー……私の話は置いておきます。

と、まあそうです、ニュースを見ていたわけですが、幸せな人達の命が奪われるのが、他人の事なのにすごく辛いです。どうしてこの人達が、と思うようになりました。

昔は、最初からそういう運命だったのだよ、だとか思う人間でした。

これからの楽しい未来を考えていたとしても、それはただの理想、願望であり、最初から用意されていたのはここまでだったのだよ。と。

 

それが最近は、死んだらそこで終わりなんだ。もう一生会えないんだ。肉声も聞けない、触れる事も出来ない、一緒に何処かへ出掛ける事も、笑いあう事も、喧嘩する事も、出来ないんだ。生きていれば、生きていてさえくれれば遠く離れていても可能性があるのに、死んだら可能性は0になってしまうんだ。

何だそれ、どんなにこちらが思っていようとももう無理なんじゃないか。

そんなの無いよ……って。何それ……何それと。

 

亡くなった人の遺影の笑顔も辛いです。

病気で亡くなってしまった場合では無く、事故や殺人で亡くなってしまった、いや、言い方を変えましょう。殺されてしまった遺族の方々の加害者に対する憎しみだとかも、やるせなくて。

 

ああー……

しかしまた話が変わってですね、私の中の死に対する思いは変わらないのですよね。

病気の所為なのでしょうか?それとも育ってきた環境ですか?性格でしょうか?

死にたく、なりますよ?希死念慮だったりそんなに長生きしたくない、だとか。

それでも自殺する勇気なんてなくて、何処かでは多分、多分?あー……生きていたいのかな。死にたいわけではない、逃げたいのか。そうかそうか。現実逃避ですね。

その為の手段が「死」か。

はーーーーーーーーーーーーー……。

よくわからなくなってきました。どうしたいのだろう。

両親もいつかは死にますからね。何回何十回何百回、両親より先に死にたいと思って生きてきたのだろう。親不孝者ですね。

 

とにかく今日伝えたかった事は、「人の死は辛い」と言う事でした。

ニュース見て泣いていました。元々涙腺弱いのでそれもあるのでしょうけれど。

遺された人達の事を深く深く考え出すと辛い。

語彙力無くて「辛い」連呼で申し訳無いのですが、そういう事でした。はい。